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『神戸』の町のいろいろな情報を、史実や現況に基づいてお知らせします!! 間違いや思い違いへのご意見、ご注意、さらには記事の追記などがございましたら、気兼ねなくコメントやお叱りの言葉をお願いいたします。 また、「起業情報」や、それに基づく“まさに!!『おいしい情報』ネタをお届けします。興味のある方は覗いてみてください。
2009/05/05(Tue)19:30
No.1776|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2009/05/04(Mon)08:39
No.1759|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2009/05/03(Sun)22:32
No.1749|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/30(Tue)16:39
水面積が約34haと日本最大級の規模を誇る兵庫運河。
奈良時代以来,兵庫のまちは「兵庫津」と呼ばれ港を中心に栄えてきましたが,和田岬が船の難所で船の被害が大きかったことから,兵庫出在家町の豪商・神田兵右衛門によって兵庫運河の築造が計画されました。
1874(明治7)年に着工しましたが工事は難航し,1876(明治9)年に船舶の避難地として新川運河だけが完成しました。
その後,八尾善四郎などの尽力により,和田岬を迂回するバイパスとして1896(明治29)年1月30日に着工(竣工は,1932年)されましたが,用地買収に困難を極め,日清戦争の地価高騰の煽りも受け,費用は当初の計算の6倍に跳ね上がり,一緒に事業を始めた仲間が運河建設反対に回ったり(地下水が枯れるため)と数々の問題があったが、1899(明治32)年12月に,本線1800m、支線763.6mの兵庫運河を完成した。
兵庫運河を造るために掘削した土砂は苅藻島の埋め立てに使われた。兵庫運河全体が完成しました。このように,幾多の苦難を乗り越えて,民間活力によりこの一大事業が成し遂げられたのです。
八尾善四郎の銅像は,太平洋戦争の金属供出によって兵庫大仏同様、もって行かれそうになりました。けれども、この銅像だけは地元民の懇願によって供出を免れたらしいです。八尾善四郎の銅像は今でも,長田区東尻池新町の兵庫運河を跨ぐ高松橋のたもとに立っています。
開削から100年余りが経った兵庫運河は,それ自体が貴重な歴史資源でもあるのです。
HP 兵庫運河の今昔物語 http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/012/shigaichi/nigiwai/
unga/ungaimamukasi.htm
HP 神戸のこと色々 No.42 兵庫運河と八尾善四郎
http://www.geocities.jp/yousan02/kobenokoto-09.htm
HP 和田岬のHomePage 新川運河と兵庫運河
http://sapporo.cool.ne.jp/wadamisaki/01unga/unga1.html
No.232|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/17(Wed)04:19
平成7(1995)年1月17日、阪神淡路大震災が起こる。
6千人を越える犠牲者と4万人の負傷者、家屋被害役25万棟、45万世帯。大都市の直下型地震の恐ろしさを見せ付けられた。
HP 神戸新聞 http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/index.html
HP 震災文庫 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/
HP 震災記録写真(大木本 美通 撮影)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/
oogimoto/index.html
No.236|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/13(Sat)18:03
1901(明治34)年1月13日,神戸瓦斯会社が開業した。
現在の中央区北本町2丁目に明治39年6月、神戸瓦斯葺合製造が完成。
|
神戸瓦斯プレート 明治32年(1899)3月設立。明治34年(1901)1月供用開始。社章は3つの光を図案化したものとか。デザインは、当時の商務主任であった井上光治氏(『神戸瓦斯四十年史』より)。本社は現在の神戸市中央区相生町にありました。昭和20年(1945)4月、京都瓦斯とともに、大阪瓦斯に合併されました。 『神戸瓦斯四十年史』 昭和15年9月1日 神戸瓦斯株式会社 より |
神戸瓦斯の拡張
神戸瓦斯は過般増資の結果四百七十五万円の大会社たるに到れるが其の営業区域の拡大と需用の増加は更に資本の大増加を余儀無くせしめ関西最大の瓦斯事業たらんとする姿あり
現今に於ける神戸瓦斯の営業区域は市を中心として東は西宮に到り西は舞子に達するものにして東方に対しては漸次其歩武を進め西の宮の如きは業に其の供給を開始したるも西方須磨塩屋、垂水、舞子の如きに対しては未だ何等の施設をも為す能わず、而かも市内は人口の激増と共に需用急進して拡張に踵ぐに拡張を以てせざる可らざる状態にありて到底現今の資本を以てしては此の大需用に応ぜん事素より望む可からず、而かも前途は神戸築港の完成に依りて市内東部の発達を眼前にし阪神沿道又其の発達激甚にして日を以て形勢を転換し来り芦屋及び御影山遊園の経営開始を見んとす更に西部に於ては駒ヶ林を始め兵電沿線の発達天馬空を駆るの形勢にして今日の需用業に会社の供給力に超越せるに尚お前途需用の形勢此の如し将来資本の増大を要する事益々急なるは偶然にあらず
翻って会社の実状を見るに日露戦役の後鉄商の破綻続発し洋鉄界の暴落を示せるの際に低廉のパイプ巨数を買収し其貯蔵を以て東西の幹線悉く布設し終り会社の建設時代は疾くに過ぎて数年来一割以上の配当を持続し営業の基礎連年確定して年々利益を増率するの姿あり従って今後の拡張事業も連年の営業成績に対し何等影響する処あらざるべく安んじて増資を断行する事を得べしと為せり
以上の如くなれば過般募集せる新株の如き時機を見て残額の払込みを終り同時に増資を実行すべく而して其の増資は一挙して倍加するの見込なりと云う果して然らば一千万円以上の瓦斯事業となり東京瓦斯と其の大を争うに到るべし
神戸新聞 1912.7.9(明治45)
データ作成:2001.7 神戸大学附属図書館
No.233|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/11(Thu)21:34
1868年(慶応四年)1月11日午後1時過ぎ、朝廷より摂津西宮の守備を命じられた岡山藩砲兵隊をふくむ一行が神戸の三宮神社に差しかかろうとしたところタバコ店からフランス兵が出てきてこの行列を横切ろうとした。行列を横切る行為は供割(ともわり)といって武士たちにとってはもっとも無礼な行為であり厳禁とされていた時代である。大砲隊長の滝善三郎はこのフランス兵の割り込みを槍で阻止しようとした。そこへふたりのフランス兵たちが駆けよって仲間を救い出し、タバコ店に引っ込んだあとピストルを手に出てきた。それを見た滝が「鉄砲、鉄砲」と叫んだため、鉄砲隊が発砲命令と思い込み、いっせいに射撃を開始してしまったのが事の起こりである。
それを聞きつけたイギリス公使パークスは激怒、神戸に停泊中の外国艦船に緊急事態発動を告げ、諸外国将兵が駆けつけ大騒動となった。もっともじっさいにはお互いに空へ向けての威嚇射撃だったため、発砲による死者や負傷者は出ていない。
家老の日置忠尚の発砲中止命令によりこの場はことなきを得たかに思えたが、翌日神戸に領事館をもつ6カ国が神戸中心地を占拠、軍事統制下に置いてしまった。そのうえで当時成立したばかりの新政府に事件の責任者の死罪と外国人の安全の保障を求めてきた。死者が出ていないのにこちら側の死罪は納得できないと伊藤博文は最後までパークスと交渉したが、6年前「生麦事件」から薩英戦争にまでなった経緯を恐れた政府は結局この要求を受け入れ、岡山藩にその処罰を要求、「これは武士の義によるものであり、非は外国側にあり」と断わられると、家老の日置を刑事犯にしたてて事情聴取のうえ発砲命令を出した滝善三郎の処刑を決定した。これが「神戸事件」と呼ばれる新政府が初めて直面した外交問題であった。
1868年(慶応四年)2月9日午後11時過ぎ、神戸の永福寺にて外国軍人の検視7名と伊藤をふくむ日本人検視7名の面前、滝善三郎は「切腹の儀」を執り行うことになった。切腹といってもこの頃の作法はじっさいに腹を斬るわけではなく、刀を腹に押し当てたところで介錯人が首を落とすのが決まりだった。だが滝は古来の作法通りじっさいに腹を斬り裂いたのである。検視のひとりである英国海軍士官ミッドフォードは自分の著書「旧日本の物語」の中でその様子を克明に記録している。彼は「ハラキリ」を見たはじめての外国人となったのである。そして英国新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」がこの事件を銅版画入りで報じたため、欧米で「日本のハラキリ」が一大センセーションを巻き起こした。だが当の日本は同年9月元号を「明治」と改め武家社会はいよいよ終焉を迎えていったのである。
武士道を欧米に知らしめた岡山藩士、滝善三郎正信(奇人発見伝 第2回より)
No.230|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/08(Mon)21:47
1879(明治12)年1月8日,八部郡神戸村、兵庫村、坂本村が合併して神戸区が発足した。
この時の「区」は行政区ではなく、地方自治体の一つ
1889年4月1日- 市制施行。神戸区を母体に菟原郡葺合村・八部郡荒田村を合併して神戸市が誕生する。
灘区・葺合区・生田区(神戸区・湊東区東部)・兵庫区(兵庫区・湊東区西部・湊区・林田区の兵庫運河以東)・長田区(林田区の兵庫運河以西・須磨区西代)・須磨区(西代を除く旧須磨区全域)
以降,編入や移行,分区を行い,現在は,中央区,東灘区,灘区,兵庫区,長田区,須磨区,北区,垂水区,西区の9区となっている
No.231|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/06(Sat)18:55
摩耶山には,古くから中腹に天上寺という古寺が存在していた。主に近世から多くの参詣者が訪れるようになり,彼等によって同寺は大変賑わっていた。その当時、参詣者は摩耶山西側の谷筋の登山道(行者道)を使っていた。
一方,近代になって近隣の六甲山に別荘地、ゴルフ場等が開発される中で、大正期から天上寺のあった摩耶山にも開発計画がもちがるようになった。
そして1922(大正11)年10月,摩耶鋼索鉄道株式会社が設立され、25(大正14)年1月6日にケーブルカーが開業した。
天上寺は現在では星の駅の近くにあるが、元々は虹の駅の近くにあり、現在でも山門や参道の階段は残っている。その後、不要不急路線として昭和19年に休止されたが、昭和30年に復活。現在の設備はほとんどこの時のものである。また、同時に摩耶ロープウェーも開業している。平成7年には阪神大震災による被害で再び休止となり、平成12年に六甲摩耶鉄道から摩耶ロープウェイを運行していた神戸市都市整備公社に譲渡された。同社は「まやビューライン」としてロープウェーと一体的に整備しなおした後の平成13年に復活して現在にいたっている。
No.234|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2007/01/03(Wed)19:16
ポートアイランドシティーに続き、昭和47年12月に埋め立てを着工していた、人工島は、1987(昭和62)年1月「六甲アイランドシティー」と命名され起工式が行われた。
昭和52年9月には、六甲アイランドへの交通手段「六甲大橋」を供用開始。神戸造船所が建設したこの六甲大橋は世界初のダブルデッキ連続トラス式斜張橋といわれている。
昭和63年3月、第1期住宅「ウエストコート4番街」竣工・入居開始が始まり現在に至る。
HP http://www.ric.or.jp/index_about.html
No.235|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/25(Mon)08:40
複製品が飾られているのは、青色を基調にした18世紀初頭のフランスの宮廷衣装と、フランス製で18~19世紀のシュミーズ・ドレス。複製品は来館者が手袋をはめた上で実際にさわることができ、仕立て方がわかる。
複製品を作ったのは大阪樟蔭女子大(大阪府東大阪市)の学生。
本物に近い風合いの生地を選び、織物の柄をスキャナーで取り込みプリントしたが、立体感を出すために、線一本ずつに影を手作業で入れた。衣装を分解することができない上、実際に着ていたもので部分的にのびたり、ゆがんだりしていた。「測るたびに違う数字になり、何度もやり直した」と同大の指導員大山弘美さん(47)。2004年に発注、製作に2年かかり、今年2006年3月から展示された。
同館は神戸市が約170億円を投じて開館。18、19世紀のドレスから近代の洋服まで約5千着の収蔵を誇る。しかし、展示室の入場者は当初の約15万9千人から02年度は約5万8千人と減り続け、閉鎖の話も持ち上がった。
2003年度に展示スペースを3分の1に縮小して再出発。複製作りに加えて、「当時の貴族の体形が分かるように」と洋服に合わせた形のマネキンも展示した。複製した衣装の型紙(2千円)を6種類販売し、実際に作ることもできるようにした。
新たな複製づくりも進んでいる。同女子大4年の1人が20世紀初頭に活躍したデザイナーのマドレーヌ・ビオネが作ったドレスの複製を、3年生3人が1865年ごろの米国のドレスの複製に取りかかっている。いずれも完成したら同美術館に収蔵される。同館では、複製品が増えたら、ファッションショーや映画への利用なども検討していきたいとしている。
HP http://www.fashionmuseum.or.jp/src/
朝日新聞 2006年 12月25日 [神戸版]より
No.200|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/24(Sun)08:32
神戸市北区・藤原台のまちびらきとともに美しい鐘の音で時を告げ、約10年前に落雷で故障した時計台「カリヨンの塔」が、住民らの募金によって修復された。今年2006年12月24日には試験演奏があり、約二十人が復活した“故郷の音色”に聞き入った。新年からは毎日、鐘が響く。
カリヨンの塔は1985年の藤原台の入居開始に合わせ、神戸市が神鉄岡場駅近くの岡場公園内に設置。高さ約10メートルのモニュメントの先端に時計があり、決められた時間に大小14個の鐘が唱歌などを奏でていた。しかし、落雷で電気系統が故障。市の財政難のため、そのままとなっていた。
このため、地元の住民らが修復に向けて委員会を結成。10月から街頭募金活動などで約113万円を集め、寄付を受けた市が約200万円を上乗せして直した。
この日は時計の針が正午をさすと同時に、「大きな古時計」が軽やかに流れ始め、住民らは拍手で祝った。
神戸新聞 2006年12月24日 より
No.199|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/24(Sun)08:18
同館は神戸市などが同校校舎を改修し、1998年にオープン。神戸ならではの洋菓子、手工芸品などを製作・販売する「工房」が集まる。
12月24日まで、二足歩行ロボット十体からなる「神戸ロボット音楽隊」によるクリスマスコンサートを開催中。午前10時20分から午後5時40分までに計20回の演奏がある。
また、700万人達成を記念し、来年2007年1月4日から14日まで、各工房で詰め合わせセットや限定商品を販売する「ありがとうフェア」を開く。
HP http://www.kitanokoubou.ne.jp/
北野工房のまちテナント会 事務局TEL078・200・3607
No.198|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/23(Sat)07:44
12月22日,神戸ハーバーランドで,ペットボトルで作ったキャンドル,約5000個に灯が点り,『天の川』や冬の星座に見立てた『地上の星』が出現した。
電気を消してろうそくのあかりで過ごし,環境などについて考える運動の一環らしいが,ちょうど,忘年会を兼ねて訪れていたMOZAIKUのレストランからも本当にきれい眺められ,向かい側の『神戸ポートタワー』のライトアップとも調和が取れ,幻想的に映えていた。
No.197|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/23(Sat)07:18
阪神大震災被災地のボランティアや市民団体などの代表者ら約110人が参加する「市民による追悼行事を考える会」は12月22日、来年の2007年1月17日前後に被災地で開かれる追悼関連行事を公表した。来年は阪神大震災から十三回忌にあたるため、追悼の鐘を鳴らす寺院や教会などが、今年より約3割多い209カ所になる。
*集い、ウオーク、黙祷(もくとう)、法要などの追悼関連行事が59件(前年63件)
*17日正午に黙祷を呼びかけている商店街、スーパー、生協、デパートなどが507カ所(同575カ所)
*正午に汽笛を鳴らす船舶が35隻(同38隻)
*正午に鐘を打つ寺院、教会、廟(びょう)は209カ所(同168カ所)
になる。
景気が良くならず、商店街そのものが減少しているため、黙祷を呼びかける商店街の数も減るが、「犠牲者十三回忌法要」を営む寺院が多い。また、追悼関連行事をする幼稚園や小中高校などは、全体の56・1%の1277園・校で、うち約8割の1066園・校が、防災教育や避難訓練をする。
朝日新聞 朝刊 [神戸版]より
No.196|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/22(Fri)12:15
神戸市中央区の旧外国人居留地を主会場に開かれていた「神戸ルミナリエ」が12月21日、閉幕した。師走の街を温かく照らした二週間の期間中、約465万人が訪れ、光の芸術に酔いしれた。
出だしこそ低調だったが、1日の平均気温が昨年より2~7度ほど高かったこともあり、最後の週末の12月16日には県内外から期間中最多の622,000人が詰めかけた。その結果、入場者数は昨年より約292,000人増えたが、初めてクリスマスを避けて開催した昨年に続き、500万人を割り込んだ。
最終日も、点灯の一時間半前から、回廊入り口に長い列ができた。
午後9時半、鐘が鳴り響く中、儀礼服を着た消防職員らが阪神・淡路大震災で亡くなった人へ、鎮魂の思いを込め、号令一下、敬礼、約20万個の電球が一斉に消えた。その瞬間,あたりは漆黒の闇となり、一瞬の沈黙。それから、どよめきとため息、そしてあちこちから拍手と、喝采のシュプレヒコールが交錯した。
No.186|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/20(Wed)20:34
12月17日の日曜日に,妻の実家である兵庫区の新開地に訪うた。
久し振りに『メトロ神戸』を歩いたが,サンタクロースに扮した安倍首相の似顔絵『アベサンタ』への願い事を書いたポスターが10数種類並んでいた。
結構,厳しい事や,辛辣な内容もあったが,最近では少々支持率の下がっている「安倍首相」に一言!
『無駄使いのないように!!!』
税金だけじゃなく,各県知事の汚職談合、献金賄賂事件や官庁役所の裏金問題,大手企業の所得隠しなどの大きな『金』を有意義に利用活用してもらいたいものである。
No.179|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/17(Sun)17:14
神戸空港島の西端に整備が進められてきた西緑地と芝生広場が12月16日、暫定オープンした。土曜日だったので、息子(高2)を連れて見にいったが、天気も曇で、海からの風も冷たく人はまばらだったが、離着陸の飛行機が、間近に見ることができた。
西緑地は滑走路のすぐ北側にあり、人工海浜と緑地、浅瀬の計約4ヘクタール。夏は、新しいスポットになるだろう。
東側には約1ヘクタールの芝生広場がある。海岸沿いにはベンチも備え付けてあり、間近に発着する飛行機をゆっくりと眺めることができる。
当面利用できるのは、土曜、日曜と冬休み期間(12月23日から来年2007年1月8日)、春休み期間(2007年3月24日から4月8日)のみの午前10時から午後4時まで。
球技やバーベキュー、遊泳、魚釣りなどは禁止。
近くに駐車場(乗用車1回500円)もある。
海上アクセスターミナル駐車場南側から、無料送迎バスも出る予定。
No.175|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/17(Sun)16:58
神戸市は、全職員の給与制度に能力主義的な要素を導入し、年功的要素を減らす方針を決め、労働組合に提案した。交渉がまとまれば、2007年度から実施する考えだ。総務省などによると、能力や実績を一般職員の給与にまで反映させているのは、政令指定都市では北九州市があるという。
市の見直し案によると、原則として1年で1段階、基本給を自動的に昇給していた仕組みを廃止。新たに毎年1回の査定を導入し、評価内容によって昇給の度合いに差をつける。
高い評価の職員は平均的な給与より高くなる一方、最低の評価を受けた職員は昇給を見送られる。従来は、同じ職級に同じ年数とどまった職員は原則、同じ基本給という「横並び」だった。基本給に差がつくことで、夏冬のボーナスにも差が出ることになる。
係長試験に合格していなくても、42、43歳で係長級の給与に移行させていた従来の慣行も、「年功序列的だ」との批判を受けて改める。係長の1段階下の「主任」から筆記試験や面接を導入し、昇進試験を通らなければ給与が頭打ちになるよう変えるという。
係長級に支給していた月額5万4千円の管理職手当は廃止して時間外手当のみとし、課長級は時間外手当を廃止して管理職手当だけとする。こうした一連の改定に合わせ、給与の算定基準となる給料表を改める。
年功的要素を減らして浮く財源は、実績・能力のある職員に振り分ける方針。市は「やる気のある職員を給与面で優遇し、職員全体の仕事の意欲を引き出したい」としている。
公務員の給与への能力主義の導入は、今年2006年4月に国が実施。総務省は、自治体も準じるよう通知した。神戸市は今年度から、課長級以上の幹部職員のボーナスに勤務実績を反映させているが、対象を給与や一般職員にまで広げることにした。
2006年12月16日 朝日新聞より
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2006/12/16(Sat)18:17
全国で流行するノロウイルスによる集団感染や食中毒が神戸の市内でも急増し、市保健所は12月15日、患者数が一医療機関あたり20人を超える「警報」レベルに達したと発表した。今年2006年10月から同日までの同ウイルスが原因とみられる感染性胃腸炎の患者は、前年同期の1.6倍の約4700人に上る。同ウイルスは食中毒に限らず空気感染などで広範な二次感染を招くのが特徴。保健所は「ほかの食中毒と違い感染の拡大防止に注意を」と呼びかけている。
市保健所によると、11、12月、老人ホームや病院で発生した集団感染が、前年同期の6倍を超える89件(患者数約1800人)に上った。また、昨年はゼロだった集団食中毒も4件(同約160人)と猛威を振るっている。
同ウイルスは二枚貝などに付着し、ほかの食中毒菌と違い人間の体内で増殖。食材による食中毒だけでなく、ウイルスを含んだ患者のおう吐物や便の処理でも感染する。
11月10日に報告された垂水区の特別養護老人ホームの場合、ノロウイルスに感染したお年寄りのおう吐物を職員がふき取ったところ二次感染し、約2週間のうちに入所者37人、職員11人が次々と感染した。
こうした集団感染を防ぐには、床や便座の洗浄が不可欠。しかし、通常のアルコール消毒は効果が弱い。市は、病院や高齢者施設などに、手袋やマスクを着けた上で、家庭用の塩素系漂白剤を薄めて消毒するよう指導を徹底する。
◆予防のポイント◆
(1)手洗いの徹底
(2)カキなど二枚貝は十分に加熱。調理器具の洗浄、消毒
(3)おう吐物や便のふきとりは手袋、マスクを着用。吐いた場所は塩素系洗剤で消毒
2006年12月16日 神戸新聞より
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2006/12/15(Fri)00:00
No.126|神戸の地元ネタ|Comment(0)|Trackback()
2006/12/14(Thu)15:17
西さんは1996年から十年間、リクルートに勤務し、同社が発行する「ホットペッパー」の営業職として神戸地区の飲食店を担当。今年2006年9月、「女性が求める地域情報を発信したい」と、中央区に会社を設立した。
11月から運営を始めた「Love KOBE」は現在、飲食、美容、ファッション関連など約六十店の情報を掲載。内容の更新が簡単なブログを活用し、各店舗が日々、日記風に情報を書き込めるようにしているのが特徴だ。季節のメニューやイベントといった店の情報だけでなく、個人的に気に入った商品などを紹介する店長もいる。
西さんをはじめ、神戸とかかわりの深い女性たちの個人ブログを集めているのも特徴。会社社長、料理研究家、ライター、主婦ら幅広い職業の女性約五十人が、日々の出来事や仕事の様子などをつづっている。
西さんは「地域情報を検索するだけでなく、読み物としても楽しめるサイト。店舗情報は三月までに百五十件くらいに増やしたい」と話す。
2006年12月14日 神戸新聞より
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2006/12/14(Thu)15:06
神戸市長田区の大正筋商店街に、阪神・淡路大震災から丸十二年となる来年2007年1月17日、空き店舗を利用して、おいしいコーヒーのいれ方やそばの打ち方など、商店主らが自ら技を伝授するスペース「大正ハイカラ進歩住夢(シンポジュウム)亭」と、震災時の写真を常設し、経験を語る「震災ミュージアム」が開設される。
同商店街は震災で98店舗の約九割が全焼。現在は約70店舗あるが、うち8店舗が空いており、商店街全体の売り上げは震災前の6割にとどまるという。
同商店街振興組合は空き店舗を活用した「大正筋ふるさと創出事業」を計画。このほど、県が本年度から設けた「まちのにぎわいづくり一括助成事業」に採択された。
進歩住夢亭は、約40平方メートルの空き店舗をランプやモザイクタイルで飾り、同商店街ができた大正時代の民家の雰囲気を再現。喫茶店主がコーヒーの淹れ方を、呉服店主が着物の着付けを子どもらに教えるなど、世代間の交流を目指す。
震災ミュージアムは、隣接する二つの空き店舗延べ約30平方メートルを利用。同区を訪れる修学旅行生らに、商店主らが被災経験を語り、震災時の写真を展示する。
12月13日には同区久保町6の新長田まちづくり株式会社で、事業内容について地元住民や地元企業などが意見を出し合う初めての会議が開かれ、「住民健診をやりたい」などの提案も出された。
2006年12月14日 神戸新聞より
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2006/12/13(Wed)11:17
オリニは子ども、マダンは広場の意味。神戸在日コリアン保護者の会(キムシニョン代表)が1998年から毎年開いており、九回目になる。自分たちのルーツの文化に出合う場として始まり、今では日本の児童らも参加している。
キムチ作りでは、在日の保護者がトウガラシなどの薬味と、前夜から塩漬けにした白菜を用意。子どもらは手を真っ赤にして歓声を上げながら白菜に薬味をすり込んだ。中央小三年の羽賀眞綾さんは「初めはムニュムニュして気持ち悪かったけど、だんだん楽しくなった。からいものは好きなので、韓国に興味が出てきた」と話していた。
チマ・チョゴリを着てインスタント写真を撮ってもらったり、ハングルの年賀状を作ったりするコーナーも。参加者全員で韓国に伝わる歌に合わせて踊り、締めくくった。
神戸新聞 2006年12月12日
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